チベット高原万華鏡 生業文化の古今の記録を地図化する モザイク柄のヘッダ画像

チベット高原万華鏡テキストDB

「チベット高原万華鏡テキストDB」では、フィールド調査の記録や文献資料に記録された牧畜や農耕といった生業にかかわるテキストを引用し、日本語以外の場合は翻訳も添え、「搾乳と乳加工」「糞」「食文化」「服飾文化」などのカテゴリータグをつけて集積しています。地図上にはプロットできない情報を含め、民族誌や旅行記、史資料の中にバラバラに存在していた生業にかかわる情報を検索可能な形で統合して見える形にすることで、新たな研究を生みだすことを目指しています。

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「チベット高原万華鏡テキストDB」の使い方
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家畜の個体管理
ヤクの家畜化のあたらしさをしめす傍証のひとつは、考古学的な発掘成果にもとめられる。東チベットの昌都卡若(チャムドカルオ)遺跡は、青蔵高原でこれまで発見されたもっともふるい農耕遺跡である。紀元前三〇〇〇年から紀元前二〇〇〇年にわたる層位のなかからは、ヤクの骨はまったく発見されなかった。家畜としては、ブタの骨がみいだされただけである。すくなくとも、この時点ではヤクの家畜化はみられず、牧畜の成立はみとめられないわけである。
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家畜の個体管理
曲貢村遺跡の内容は、まさに農耕を基盤としながら、一部では牧畜がいとなまれる一方でヤクの家畜化はまだみられない状況をしめすものであろう。
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宿営地と放牧地
チベットにおける牧畜の成立にあたっては、外部からの影響を考慮にいれざるをえない。影響をあたえた外部としては、北方、西方、南方の三つをあげることができる。三つの地域の主要な要素をしめすと、北方はトルコ・モンゴル的要素、西方はペルシャ的要素、南方はインド的要素となるであろう。
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宿営地と放牧地
チベットにおける牧畜の特徴を集約してしめすと、ヤクにひじょうに比重をおいた牧畜ということができる。ヤクは、テントの材料となる毛から乳製品まで生活の基本財を提供している。この状況に対応するのが、ペルシャ系遊牧民におけるヤギの位置であろう。ここでは、ヤギがテントの素材となる毛から乳製品までの生活の基本財の提供者となっている。ヤギおよびヤギがそれぞれの牧畜のなかでしめる位置は、構造的に相似している。
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宿営地と放牧地
全体的なながれからみれば、ヤクの家畜化はウシの家畜化の波をうけて成立したものといえるだろう。家畜化されたウシの原生種は、オーロックス Bos primigeniusだとされている。オーロックスは絶滅した野生種で、もともと北アメリカをのぞく北半球にひろく分布していたとかんがえられている。これが、紀元前七〇〇〇年紀ころ、西アジアにおいて家畜化された。
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宿営地と放牧地
以上のべてきた状況を背景にかんがえると、ヤクの家畜化ひいてはチベットの牧畜の成立の輪郭がおぼろげながらうかびあがってくるようだ。つまり、ヤギの位置との相似からいえば西方的要素の影響、ウシ科の家畜化の歴史からみれば南方的要素の影響のつよかった可能性がかんがえられる。あるいは、北方的要素の影響は、吐蕃時代からのちの接触のなかでつよまったものかもしれない。
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服飾文化
ラヤ村は、西ブータンのパロから北方に歩いて三日程度の行程でいたる国境守備隊の駐屯地であるタクチマカンから、さらに一時間ほど北に歩いたところにある。ここでは男性は他のブータン人と同じように、ゴを着ているが、女性はキラのような一枚布の服装ではなく、ヤクの毛から紡いだ黒い厚手の生地を仕立てたスカートと、短い丈のチョッキを着ている。また、頭には、竹で編んだ帽子をかぶり、その帽子の中にはバターを入れている。このバターは体温で溶け出し、それが髪の毛を保護する整髪剤の働きをすると考えられている。
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服飾文化
また東ブータンのブロックパの男たちは、なめし処理をされていない毛皮の貫頭衣を着ており、男女ともに頭には四本のタレの付いたベレー帽のような帽子をかぶっている。
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服飾文化
この服装の形式には、広くアルナーチャル・プラデーシュ一帯のトライブの女性の服装に共通する部分がある。このことから、中尾氏は、ブータンの女性の服装が、東ヒマラヤの文化的要素ををもったものであると指摘している。
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食文化
ブータンの主食は米である。ブータン人は、好んで米を食べる。しかし、二七〇〇メートル以上の高度においては、もはや稲の栽培は不可能となる。このような高地では、もっぱら、ソバを主食としている。おもにソバを主食としているのは、ハ県とトンサ県である。
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植物と動物
実をよく観察したとき、角ばっているのがアマソバで、丸みがあるのが、ダッタンソバである。この二種類のソバは、ブータンにおいては、区別することなく混栽されている。
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食文化
その練り上げたソバを、ブタまたはブタシンを呼ばれる押し出し式の製麺機にかける。このブタには、てこが上部に付いている。本体の中央部のシリンダーの底には穴があり、そのシリンダー部分にてこと結合したピストン部分があった、そのピストン部分が、麺を押し出すのである。この押し出された麺も、ブタと呼ばれている。このように押し出し機により製麺するのは、ソバ粉だけで練られたドゥには、展延性がないからである。
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食文化
押し出された麺は、手早くさっと、ゆでられる。そのゆで上がった麺に、バターを熱したものをと、ときには卵をスクランブル・エッグ風に油で炒めたものをかける。トンサ地方では、熱したマスタード油をかけ、そこにトウガラシ、刻んだアサツキをかけて食べていた。
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植物と動物
このほかに、ソバには、いろいろな食べ方がある。ソバを練るところまでは同じであるが、それを薄くのばし、パンケーキ風に焼いて食べることがある。これは、クレという食べ物である。
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食文化
またハ県では、大晦日の晩に限って、ソバ粉で、チベット人がモモと呼んでいる餃子のようなものをつくって食べることがある。これは、ヘンテと呼ばれている。
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植物と動物
そのほかには、トンサ地方では、ソバ粉をお湯で練って手のひらの上に小さな器状のものをつくる。その中に、バターとトウガラシを入れて、そのソバでできた器の縁を少しずつ崩して、中のバターとなじませながら食べることもある。
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食文化
このように、ソバ粉からつくる伝統的なブタとともに、小麦粉からつくるソバもある。これは、トゥクパといわれ、チベットからもたらされたもののようである。トゥクパは、都会的な食べ物であり、町の食堂で供されている。
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家畜の名称
ブータンが、東ヒマラヤ文化圏の大きな影響を受けていると思われるものに、ミタン牛の飼育がある。この牛は、ガヤールとも呼ばれ、東南アジアからアルナーチャル・プラデーシュにいたるまでに広く分布している。普通牛を林間放牧したときは、ヒルの害で貧血症状を示し、やがては衰弱してしまう。しかしミタン牛は、ヒルによる被害を受けず、林間放牧に強いのである。
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家畜の名称
ブータンにおいては、ミタン牛は、乳の中に脂肪分が多く、このミタン牛を普通牛に掛け合わせると、乳をよく出し、なおかつ病気に強い牛ができると信じられている。ブータンでは、ミタン牛をもつことは、ひとつの富の象徴である。
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家畜の名称
このミタン牛は、アルナーチャル・プラデーシュに住むブロックパから得ているのである。しかしこのブロックパは、ブータンの人々からは、獰猛であるといわれている。そのために、ブータン人は、このブロックパとの間で、かつては特殊な交易を行っていた。これは、ブータン人がミタン牛を欲しくなったとき、ブロックパとの境界にある山の上に上がり、ブロックパが欲しがるようなものをそこに置き、のろしをあげて山を降りる。やがてその場所にブロックパが上がってきて、ブータン人が残していったものが、自分たちの気に入るものであるならば、その場所にミタン牛を連れてきてそこに繋ぎ、山を降りる。やがてブータン人がやってきて、そこに繋がれているミタン牛が気に入れば、そのミタン牛を連れて帰る。ふたたびブロックパがやってきて、ブータン人が残していった品物を持ち帰るのである。
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