「チベット高原万華鏡テキストDB」では、フィールド調査の記録や文献資料に記録された牧畜や農耕といった生業にかかわるテキストを引用し、日本語以外の場合は翻訳も添え、「搾乳と乳加工」「糞」「食文化」「服飾文化」などのカテゴリータグをつけて集積しています。地図上にはプロットできない情報を含め、民族誌や旅行記、史資料の中にバラバラに存在していた生業にかかわる情報を検索可能な形で統合して見える形にすることで、新たな研究を生みだすことを目指しています。
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(ブータンの靴の)靴底がラサ方面のような麻編でなくヤクの一枚皮で、脚部も、チベット織で作られているラサ地方のように、赤、緑、黒地まじりに刺繍したものでなく先端が一部赤く、他の部分は黒地か、黒地に水玉模様が入っている。この靴をハンコー(トモ靴)と呼んでいる。靴底が一枚皮であるため、少し湿めると、ちょうどワラジを穿いたようにぴったりと足につき、そのうえ軽く、山中のこの地方に適したようにできている。
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262
彼は足を前に伸ばしてヤクから飛び降りると、手綱の端に結びつけられた指ほどの長さの杭を地面に刺して、足の裏で踏み込んだ。杭は、バターに針がめり込むかのように、地面に食い込んだ。
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263
呪いや呪文(トゥー mthu)は、特別な真言を唱えることによって僧や在家行者が行うとされるものである。一方、ドーマはそのような呪いをかけることはできず、神に願い事をするだけの一般の人々と変わらないとされている。毒盛りは、道具や技術を必要とする呪いとはみなされていない。そのような呪いはヌパの一種であり、特定の相手に恨みや妬みを持つ人間がその相手を攻撃するため、真言の問題や真言の専門家の介在がなく、たまたまドーマの家系に生まれた人によって行われるとされるため、呪いやヌパと異なるものとして区別されている。
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264
カルツイ(dkar spri「白い クリーム」)と呼ばれる初乳は、半分を生まれた仔に与えるが、残りの半分を家族で消費する。生まれた仔に初乳の半分を与えないと、仔は空腹で死んでしまうが、産まれた(原文ママ)仔に初乳を全部与えると、仔はうまく消化できないのであるという。
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265
ラダッキは、初乳からトウムス(khrums)を作る。2日間いわゆる初乳が搾れるが、これを温めると、火を通した卵のようになる。これに塩、マサラ(香辛料)を味付けのために加えたものである。これはコムギ粉料理のタキシャモ(ta gi srab mo「タキ・薄い」(いわゆるチャパティで、第4章の食事文化で取り上げている)に添えて食卓に出される。カルツイはミルクとしての利用はない。ヤギ・ヒツジの初乳もまた、カルツイと呼ばれ、調理して食べられるが、初乳の半分はゾモの場合と同様に、それらの仔に与えられる。
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266
(タイジヌール・モンゴル族の首長)ソナムのテント村に、五日間滞在した。彼はわれわれに発酵させた馬乳「クミス」をくれた。
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267
この女は、料理とキャンプの焚火のため、脂じみ煤けた羊皮のコートを着て、ぼろぼろの頭布を被り、爪先が上に反った靴を履いていた。彼女の髪の毛は二条に編まれていた。
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268
チョルは御年13歳、ドゥクモも13歳、13歳という子供の厄にあたり
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翌朝の朝食は……私には濃い酸っぱい羊のミルクが最上だったが、鉢の中に炒った粉、脂、お茶少々を入れて、ツァンバをたっぷり指でこねるのも、悪いことではなかった。それに欲しければ、生か乾したヤク肉の2、3片の薄切れもあった。
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270
窒息死というこの国の方法で、可哀相な動物を絞め殺すと、彼のもてなしの報酬として、この羊皮は彼の取り分になった。彼は羊の脚をロープで三重に縛り、顔を地面に押しつけ、螺旋状した羊の角の上に乗りかかり、親指と人差し指を羊の鼻の中に突っ込んだ。彼はただ羊の暴れるのを止め、血走った目が眼窩から飛び出すまで、待つだけでよかった。しばらくの間、彼は休みなく、聖なるお題目の「オム・マニ・ペメ・フム」を、唱えていた。……彼は羊を細かく切り、われわれは彼に数片与えた。
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磚茶が縫い込まれている毛皮(訳注p.461:ヤクを殺して毛皮を剥ぐと、まだ柔らかい生皮を裏返しにして、磚茶の荷をそっくり包み、糸で縫い付けてしまう。毛皮が乾燥すると縮まるので一種のパックとなり、湿気や水けを防ぎ防湿効果がある。古い皮は硬くなって再使用には向かない)ですら、年月と汚れで黒かった。
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272
まず脂肪分の多い、黄色のクリームの入った山羊のミルク。脂で軽く焼いたヤクの腎臓。獣糞の火でこんがり焼いたヤクの髄。カモシカの背骨、または頭に沿った柔らかな肉の小さく分厚い塊を、長い角にかけて、皮がすっかり焼ききれるまで焔で炙ったもの。これはまるで煤の塊のように見える。
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273
ヤクを斃すと、肉を切って、折りたたんだテントの下のところで保存する。ヤクや野生ロバ、カモシカ、野生ヤギの生皮は、鞣して利用する。長靴、輓具、革紐、その他数多くの品物が革から作られ、腱は糸に使われる。
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トランス・ヒマラヤに暮らすラダッキの場合、チベット仏教徒ですから、本来は四十九日を過ぎて転生したら帰ってくることはないと考えます。ところが、「お正月には火葬場に先祖が戻ってくる」という感覚は持っていて、日本の墓参りのようにそこに行って、たくさんお供えをして先祖を祀り、共食をします。
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たしかに沖縄の人たちの清明祭のときに同じようにしますね。ラダックの人たちはチベット仏教徒ではありますが、仏教伝来以前の古い習慣や考え方を残しているように思います。
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ラダックの場合は同じチベット仏教徒ですが、石組みで作った火葬場で焼きます。遺灰は峠などから風にのせて撒かれるか、川に流されます。残った骨の一部はツァンパと混ぜて、ツァツァという円錐形の容器に入れて家に持ち帰るそうです。
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ここではとくにラダッキ仏教徒における「弔い」の慣習を取り上げる。彼らの伝統的葬送儀礼では、喪家(死者を出した家)に代わって「パスプン」と呼ばれる社会集団組織が葬儀に関わる重要な役割を果たす点に大きな特徴がある。
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同じチベット仏教圏にあるラダッキ仏教徒の間では、チベット人とは異なる形で毎年のロサルの時期に「シミ(shi mi)」と呼ばれる祖先供養が行われる。
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ナムガンと呼ばれるチベット暦10月30日のいわゆる大晦日には、先祖の霊を慰めるシミが行われる。その日の夜明け前の早朝、暗いうちに、パスプン・メンバーのそれぞれは、火葬場にあるパスプンの石棺に出かける。まずはバター茶、チャン、バターランプをそなえた後、持参したタキ・トゥクモと呼ばれる伝統的パン、マルザンと呼ばれるバター入りのオオムギの練り粉、カプツェと呼ばれるコムギ粉で作った焼き菓子、干しぶどうなどが入った混ぜご飯をまとめた馳走を切り分けて、先祖の霊それぞれに供える。最後には、シュル(gsur)と呼ばれる、オオムギ粉をバターとミルクで練って固めたものを石棺に入れて燃やす。これらすべてを供え、祈りを捧げた後、その場でシミにきていた他の家族の人たちと談笑しながら夜明けを待ち、夜が明けてから家に戻る。
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ラダッキ仏教徒の社会では、同じラーを祀る一種の同族集団であるパスプンが家族に代わって葬儀を取り仕切って死者を弔うとともに、各パスプンが一体となって死者供養を伝統として維持してきたことが分かる。ラダックの「弔い」には、チベット人とは異なる土地に根ざしたローカルな慣習が生き続け、そこでは死者と残された人々との関係(絆)が常に確認されるとともに、他人に転生してしまったとしてもパスプン集団の祖先として大切にする慣習を維持し、パスプンへの帰属意識が再確認されているのである。
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