「チベット高原万華鏡テキストDB」では、フィールド調査の記録や文献資料に記録された牧畜や農耕といった生業にかかわるテキストを引用し、日本語以外の場合は翻訳も添え、「搾乳と乳加工」「糞」「食文化」「服飾文化」などのカテゴリータグをつけて集積しています。地図上にはプロットできない情報を含め、民族誌や旅行記、史資料の中にバラバラに存在していた生業にかかわる情報を検索可能な形で統合して見える形にすることで、新たな研究を生みだすことを目指しています。
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中央アジアのなかでも、遊牧民であったカザフはとくに死者のための儀礼を盛んにしますが、定住民のウズベクにも死者のための儀礼はあって、中央アジアにある程度は共通性があるみたいですね。定住民より遊牧民のほうが父系クランが重要で、それと死者のための儀礼が結びついて盛んに行われています。
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花嫁を求める側は問い酒(dri-chang)を持参する。これは花嫁側に、婚礼に異存がないかどうかを再度たずねる時に飲む。次いで、娘の家で花嫁酒(bag-chang)を飲む。花嫁酒を飲みながら、いつ聞き酒(gsan-chang)を飲んだらいいかを話し合う。
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ザンスカル渓谷にはどこにも、1本の果樹も生えていない。冬の寒さがあまりにも厳しいからである。果物に対する需要を満たすことができるのは、商人がスル渓谷から干しアンズと干しリンゴを運んでくる秋だけである。この乾燥果実は評価の高い珍味であり、特別な折にしか食卓に出さない。
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ザンスカルの殆どの農家にも、ごく小さな菜園があり、白大根、ジャガイモ、それに時には少々カリフラワーを栽培している。大根は昔から知られている野菜であり、採れたものをそのまま、翌春まで冬の台所の穴の中に貯蔵して調理する。また、日に干して、非常食として長期間、保存することもできる。
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ジャガイモ、カリフラワー、人参、カブキャベツ(原文ママ)、インゲン豆は19世紀になって初めて、ヘルンフート派の宣教師によってこの地方にもたらされた。渓谷の比較的暖かいところには、このような種類の野菜の栽培がよく普及しており、半キロの人参や2.5キロのカリフラワーも採れる。ザンラでは、ジャガイモはまだ贅沢な野菜であり、殆ど食べず、主に火酒の原料にする。種ジャガイモとするに火酒にしてしまわない残りは、大根といっしょに貯蔵する。
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時にはツァンパの味をよくするために野生の野菜を集める。もっとも、その一部を貯蔵できるほどには採れない。それらの中、特筆に値するのはケーパーである。これは長い間、水に浸けておき、煮つめてホーレン草ソースのようなものにする。タマネギの野生種も見つかる。これは春、湿ったところに生えてくる。野生のダイオウは生のまま食べることもあるが、主に染料の原料にする。
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リゴク(rigok) 野生のニンニク。めったに集めない。というのも、あまり評価されておらず、臭いが水の霊を怒らせることもあるからである。
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種ヤクは村落共同体の共有である。このヤクは様々な場所を巡る。番人は交尾のさいに立て替えた出費を半キロのバターで相殺してもらう。種ヤクはユルヤク(yulyak)と呼ばれる。
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ゾとゾモの顕著な標識は、下に曲がっていることが多い角である。貧しい農民はゾを畑すきと運搬に用いる。ゾやヤクより弱いが、その代わりにもっと大人しい。
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ヤギはザンラで最重要の家畜であり、ミルクと毛と肉がえられる。このヤギは高級なパシームがとれるカシミール・ヤギではない。もっとも、村ではカシミール・ヤギとの交配がいくらか行われている。毛皮はストールと、赤ん坊の背負い籠に用いる。
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ザンスカルの人は肉をとるだけのために屠殺をしない。家畜が怪我をしたり、病気の場合にだけ屠殺する。病気の家畜の肉も食べる。屠殺する場合、頸動脈を切る。そのさい、まず自分の家畜に赦しを請い、それから行動に移る。彼らは仏教徒であるから、家畜の殺生と自分の宗教的立場を一致させがたい。しかし、僧に肉を布施し、清めのお祈りをしてもらって、何とか難題を切り抜ける。ムスリムが住んでいる村では、ふつう彼らがほぼ専門的に屠殺の仕事をする。人々は彼らの仕事を手放しがたい。彼らは報酬として心臓とレバー、それに時には少量の肉をもらう。
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独特の風習は「狼見せ」(shandong)である。牧童はほら穴で狼の子供を見つけると、家に運び、渓谷中を連れまわす。ザンスカルの人々は、これで狼が数匹減ると知って喜び、発見者に穀物またはお金を布施する。
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青チーズはミルクを攪拌し終えたあとのバターミルクに十分な「甘さ」(酸味がない?)がある場合に作る。作り方はバターミルクをとろ火で加熱し、凝乳ができてきたらすぐに火から下ろす。それを冷ましてから目の粗い白い袋に入れて水を切る。
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白チーズはバターミルクの酸味が少し強いときに作る習慣があり、作り方はミルクと酸乳を混ぜて攪拌してできたバターミルクをとろ火で加熱し、凝乳(la bo)とホエーに分離しても、さらに加熱し続け、粘り気がなくなるまでかき混ぜ、ホエーの水分がおおよそ飛んだら、酸味のある白いチーズのできあがりである。ナクチュ地区の中央から東部の牧畜民はだいたいこのようにして作る。ツァンパに入れるチーズは良いものなので、牧畜民たちはツァンパ団子にして食べる際にツァンパとチーズとバターのどれが欠けても足りないと感じるのである。
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ミルク(全乳)を加熱して作る甘味の強いチーズで、一部の牧畜地域で作られている。秋の雌羊の乳が出なくなる時期のミルクで作る習慣がある。上述の青チーズの作り方と同じだが、季節の違いに加えて、ミルクの中のたんぱく質の含有量、味、柔らかさにおいてかなりの違いがある。
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ヘイスティングスの勧めでボーグルは小規模な農業の実験を行っていた。ルートを一定程度進むごとにジャガイモを植えて、ブータンの気候に合うかどうか確認したのだ。
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しかしながらジャガイモの実験は成功したとは言えなかったことが、9年後に同じルートをたどった旅行者の記録から分かる。その記録によると、「現地で小さなジャガイモの試料を見せられたが少年のビー玉くらいの大きさしかなかった」。ボーグルは「この野菜の紹介に大きな期待をかけており、ブータン人はその野菜をボーグルの名前で呼ぶようにと教育されていた。しかし育て方も知らず放置したので栽培は失敗に終わり、種イモもつきかけていた」。
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タクチュルというチーズはナクチュ地区中央部の牧畜民たちがミルクを攪拌する際に酸乳を混ぜて攪拌する習慣があり、それもミルク12.5kgに酸乳2.5kg混ぜ、それを攪拌してできたバターミルクをとろ火で加熱し、凝乳ができたら、そこからとれるホエーをとろ火で焦げないように長い時間加熱して、(できた)カンダをぽろぽろにして?('thag)クリーム(an rda)にはならない程度まで塊になったら、丸めたのを細かく分けるか、大きめの塊にして乾かしたもの。
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毎日陽が落ちると円く炉を囲んでヨーグルトを沸かして飲みながら盛んに牛や馬について語る。あれが仔牛を孕んだ、これが仔馬を生んだなどと話し合っているが、牛や馬にはそれぞれ名前がついていて、たとえば張さんというから買ったものなら張牛といい、王さんから買ったものなら王牛というふうで、そのために話がどんなにこみ入ってもけっして紛れない。
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牛糞を燃料にするのは蒙古、チベットではきわめて普通のことで、西康内でも裏塘(リタン)から西はそうである。