「チベット高原万華鏡テキストDB」では、フィールド調査の記録や文献資料に記録された牧畜や農耕といった生業にかかわるテキストを引用し、日本語以外の場合は翻訳も添え、「搾乳と乳加工」「糞」「食文化」「服飾文化」などのカテゴリータグをつけて集積しています。地図上にはプロットできない情報を含め、民族誌や旅行記、史資料の中にバラバラに存在していた生業にかかわる情報を検索可能な形で統合して見える形にすることで、新たな研究を生みだすことを目指しています。
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301
はからずも土地の人びとがねんごろに歓待してくれ、勧められるままに酒を受けた。酒が一回りすると、音楽を奏し、人々はそろって立ち上がり、男女が列を別にし、たがいに歌を歌い合う。歌詞は問答式で、個人的な言葉で胸の思いをのべるのとは違っている。
302
「山を下るときには馬から降りたほうがよい。諺にも、山を上るに汝我を乗せずば馬たるに足らず、山を下りるに我汝を牽かずば人たるに足らず、といっております。馬は長途を行くのですから、このときは休ませてやるのがいいのです。」
303
次の朝、顔を洗っていると、外が騒がしく、人を打つ音や悲鳴が聞こえてくる。てぬぐいを置いて出てみると、見送ってきたチベット兵が料理人をつかまえて太い杖でいまにも打とうとしている。羊のあぶり方が足りないから職務怠慢だというのである。
304
乳加工のなかで、同じチベット系のシェルパやタマンに見られないものとして、生チーズの利用がある。牛乳を数日放置したのち、撹拌すると脂肪分が分離する。これがギュー(バター)であるが、残りの液体を煮ると固形分が分離する。この固形分がチーズで、ちょうどカッテージチーズのように見えるが、その独特の醗酵臭はカッテージチーズよりもずっときつい。シッキミーでこれを「チュー」と呼ぶ。
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「チュー」につぶした唐辛子、ニンニク、塩などを入れて混ぜたものが「ツェ」で、かなり辛味を効かせた一品である。日本の食事に漬物が付くように、「ツェ」はシッキミーの食事のなかで、脇役ではあるが、なくては淋しいものになっている。
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「チュー」は、この他にも、野菜と一緒に炒めたり、スープにしたりして食べる。ブータンでも同じだという。「チュー」を使った料理は、カリンポン地区のレプチャの家庭でもよく食卓にのぼった。名称もやはり「チュー」である。
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米の他に雑穀類で大事なのは、トウモロコシとシコクビエ、それに小麦であろう。トウモロコシは収穫後、軒先や屋根裏に干して保存し、米と混ぜて炊いて主食にしたり、ポップコーンを作ったりする。前述の押しトウモロコシも、シッキミーの生活では需要なものだ。
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シコクビエはその大部分が酒(後述)の原料として使われる。その他、私たちはレプチャの農家で、シコクビエの粉で作ったパン・ケーキをご馳走になったことがある。粉に挽くのがたいへんなのであまり作らないが、昔からある食べ方だそうだ。
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さて、その飲み方であるが、シッキミーでは「トゥンバ」と呼ぶ筒状の器を用いる。「トゥンバ」は竹あるいは木製で(この頃はプラスチック容器を使うことも多い)、ここに発酵の済んだシコクビエを入れ、上から湯を注ぐ。しばらく待ってから、細かい竹のストローを使って飲むのだが、筒の中の液がなくなってきたら、また湯を注いでは飲み続ける。
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クリーム 普通牛乳は木の桶へ絞る(原文ママ)。これを他の器へ移すとき、桶の口のまわりに脂肪分が付着する。桶を洗わずに、一週間ほど続けると、桶の口のまわりに脂肪分がたまってくる。これがクリームでシッキミーで「ペルー」という。高価な食品である。
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ワラビ 日本で食べるワラビとは少し違う。もっと細くて小型。くるりと巻いた頭の下からすぐに葉が出ており、この柔らかい葉の部分を好んで食べる。ワラビはどこにでも生えている。
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わたしたちにありがたくなかったのは、……思いがけずタングート族の隊商に出会うことであった。完全武装したタングート族は、塩や原料品をココ・ノールの西、ダバスン・ゴビから運び出すのである。たいてい5ないし7人の騎馬のものがキャラバンにつき添っていた。キャラバンは50ないし70頭の運搬動物からなっていたが、充分太ったりっぱなヤクかハイニュク(牛とヤクとの交配牛)である。
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(タングートの少女は)14歳、15歳になると、もうほんとうに母親代わりとなり、家政全体をまかせられる。ただ裁縫だけは男の仕事である。女は夜明けとともに起き、火をつけ、油を暖め、それで顔や手をこする。水で顔を洗うのはみだらなことだと見なされている。そういうぜいたくをあえてする女は、その白い顔で男たちを誘惑したいと思っているのだ、と言われている。
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男女の結びつきかたは次のようである。若い男はその狙っている少女のそばに馬で行き、一見何でもないような顔をしてアルガル(リュモ、乾燥糞)を投げつける。少女がその男に何も関心のない場合は、まるで気がつかなかったようなふりをする。しかし反対に、その申し出に応じようとするときには、彼女の方もそのアルガルを拾って、男の子に投げ返すのである。
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出会ってから数日して、若い2人の両親はこのことを知らされ、正式の求婚がはじまる。花婿「ス・マ・ム・ハ」の父は息子の同意のもとに、花嫁「ナ・マ・ス・マ」の両親の家へ2人の老人を送り込む。老人たちは結婚の下準備の役目で、どれだけの値段で花嫁を買うことができるかを聞き出す。この使者が所期の結果を果たさないで帰って来ると、第二、第三の使者が派遣される。
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花嫁の両親はこの歓迎すべき客(媒酌人)に挨拶するために出かけ、自分のテントへ導き入れる。そして炉の右の最上席へつくよう頼む。……客には簡単な食事が出される。ヤギの後部肉の全部、つまりヤギで最上の、いちばんうまい部分である。客は自分のナイフを使う。それはいつも携行しているのである。そしていっさいの儀式めいたものもなく食事がはじまり、食事をしながらすぐ花嫁の購売価格が討議される。
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花婿のテントで、花嫁のもてなしがある。それから花嫁の付添いの少女が花嫁のまげを編みはじめる。その際、娘のときから飾りに使っている小さな白い貝のほかに、さらに4つの大きな貝を気づかれないように編み込む。これが結婚した女のしるしなのである。
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出産中、いつもガルマという老助産婦が居合わせるが、お産が重いときには、もう一人ラマ僧が呼び寄せられる。……ガルマは生まれた子を腕にかかえお湯の中で洗う。冬は羊の毛皮にくるむ。母に乳が出ないとき、この小さな子、「スヤ・ギ」は牛乳で育てられる。晩は羊の皮にくるみ、わたしたちの国で使われるオムツの代わりに、尻の下に灰を入れた、小さな皮をあてがっておく。
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老いた家長が死期、つまりシー・スンの近づいたことを感ずると、生きているうちに財産を子供たちに配分する。その際みな同じだけもらう。さらに家畜の中から、いちばん強い、いちばん愛していた雄牛が選び出され、これが死者の亡骸を運ぶように決められる。
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男は女が気に入り、結婚したいと願う場合、自分の衣服の何か一つを女のもとに残しておく。女は若い男のそういう申し出を受けると、男の衣服を自分のとまとめてかたづけておかなければならない。これに反し拒絶する場合、男の衣服を戸外に出しておく。……若者は自分の衣服が外に出されているか女が注意深くかたづけたかで、事の成否を知ることができる。