チベット高原万華鏡 生業文化の古今の記録を地図化する モザイク柄のヘッダ画像

チベット高原万華鏡テキストDB

「チベット高原万華鏡テキストDB」では、フィールド調査の記録や文献資料に記録された牧畜や農耕といった生業にかかわるテキストを引用し、日本語以外の場合は翻訳も添え、「搾乳と乳加工」「糞」「食文化」「服飾文化」などのカテゴリータグをつけて集積しています。地図上にはプロットできない情報を含め、民族誌や旅行記、史資料の中にバラバラに存在していた生業にかかわる情報を検索可能な形で統合して見える形にすることで、新たな研究を生みだすことを目指しています。

なお、本DBは進行中のプロジェクトであり、引用や翻訳に間違いが含まれている可能性があることにご留意ください。ご利用される場合は、必ず原典を確認してご利用いただければ幸いです。問題があれば、 「チベット高原万華鏡」とはに示したお問い合わせ先にご連絡いただければ幸いです。また、論文、著書などで利用される場合は、本DBを利用したことに言及いただければ幸いです。

「チベット高原万華鏡テキストDB」の使い方
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経済活動
チャンパ牧民たちは、西チベットに塩をとりに、ミンドゥムとキェルツェという場所の塩湖に毎年行っていた。デプリンからミンドゥプまで一八日かかり、キェルツェはそこより近かった。両地域に集落はなく、地域の数家族のチャンパがテントを張っていた。塩湖に着くと、羊・山羊に積めるだけの塩を採取してよかったが、五〇頭分の塩に対して、一頭の羊と荷袋をチベッタンの役人に支払った。
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経済活動
一九六〇年代まではほとんどのヒマラヤ地域にチベットから塩が供給されていたという。たくさんの家畜を所有する男たちは、二〇〇〜三〇〇頭の羊を連れ、あまり家畜をもたない男たちは、労働力を提供するために彼らに同行した。ルプシュに戻ると彼らはその塩を、まずザンスカルで大麦と交換するために使った。塩は人々の食事のためだけでなく、家畜にとっても不可欠だったため、最も貧しい農民でも、塩を得るために少しの大麦を取り分けていた。八月頃にルプシュパは、南のヒマチャルの近くのドズムで開かれる年ごとの市に旅して、塩を、茶、砂糖、香辛料、米、その他の食糧と交換した。そこにはさまざまな地域から公益社が集まった。また、下ラダークの人々が、アンズ、穀物、クルミ、大根などを、塩と交換するためにルプシュにもってきた。
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経済活動
チベットとの交易が閉ざされた一九六〇年代以降、チャンタンのルプシュのツォカルで塩が採取されるようになり、ザンスカルなどとの交易に使われるようになった。しかし、政府が塩を配給するようになると、ツォカルの塩への需要が減少した。それでも、ツォカルの塩のほうを好む人々がいて、それはいまも採取されている。塩の採取はルプシュパの男のアイデンティであり、ツォカルとの結びつきの表現であるという、
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搾乳と乳加工
熟成チーズの加工方法について触れておこう。メラックでは、農業省の主導により手動のミルク分離器が普及している。分離機(原文ママ)でクリームとスキムミルクに分離する。クリーム分離後のスキムミルクを大きな鍋で加熱しながらゆっくりかき混ぜると固まってくる。ホエイ(乳清)を柄杓ですくい出し、鍋のなかの水分がぬけると、柔らかい固まりの生チーズができる。これをコイ(F2)の毛皮で作った袋に詰めて、針と糸で縫い合わせて密封し、半年ほど寝かせると熟成チーズができる。
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搾乳と乳加工
バターづくりは、毎朝の主婦の大事な仕事の一つである。前日の夕方、しぼった乳でバターをつくる。一晩おかれた乳は、粘っこくなっている。これをひつじの皮袋に入れて、地面に寝かせ、ひっきりなしに揺さぶる。乳の入った皮袋は、揺さぶられるたびに、バタン、バタンと音を立てる。単調な動作を長時間続けるのは、見ているだけでも辛くなるが、テュグレさんは、疲れも見せず黙々と皮袋を動かし、中の乳をかくはんする。こうして、およそ二時間。ころあいを見計らって、テュグレさんは、中身をなべに明けた(原文ママ)最初に出てきたのは、ドロリとした濃い液体である。「これはタラ。一杯どうぞ」
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搾乳と乳加工
ガルマン・ゴンポさんが、タラの入ったなべを火にかけた。やがて、板状に固まった細片が浮いてくる。これを日に干すと、携帯に便利な干しチーズになる。
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搾乳と乳加工
テュグレさんや、チャンチュウさんは、さっそく乳しぼりの準備にかかる。乳しぼりは、女性の仕事である。デュグレさんが、ヤクの毛で編んだロープを延ばす。羊を追ってきた娘さんが、羊の群をロープのそばに集める。チャンテュウさんが、羊を一頭ずつ向かい合わせ、ロープで首を互い違いに結わえていく。羊が動けないようにして、乳をしぼりやすくするためである。
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毛と皮革
先ほどからガルマン・ゴンポさんは、羊の毛をくしのようなものですいている。毛をすいたり、刈ったりするのは男の仕事である。息子も父と並んで、毛をすき始める。
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宿営地と放牧地
この数日後に立ち寄った獅泉河の町で、日本とほぼ同じ広さの、このチベット西南部、阿里地区には、人口は五万人しかいないが、羊とヤギは三百万頭、ヤクは十数万頭いる、と聞いた。
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搾乳と乳加工
ラサ近郊の遊牧地区は、ヤクの乳をしぼり、バターをつくると聞いていたが、ガルマン・ゴンポさんは、このあたりでは、ヤクの乳は飲まない、といった。あれを飲むのか、と信じられないような顔をする。
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糞
皮袋の中を私たちにみせるようにして何か叫んでいる。何だろう。私たちに用があるらしい、とわけがわからないものの、少年が差し出した皮袋の中を覗いてみた。なんと、乾いた羊やヤクのフンがいっぱい入っているではないか。そうか、この子は私たちに燃料をあげるといっているのだ。
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交尾・出産・去勢
去勢は、うまれた翌年の春におこなう。ヒツジ、ヤギとも、出産は冬である。去勢は、陰嚢に小刀で切れ目をいれ、睾丸を手でおしだして切りおとす方法をとる。この方法は、ヤク、ウマにも適用される。
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食肉加工と部位名称
牧畜民は(屠畜をしない)夏に備えて「熟成肉」というものも作る習慣がある。秋に屠畜をするときに、上質なヤクの枝肉何本か、あるいは「spu khog」と呼ばれる羊肉一体分の中にきれいに洗った内臓を詰めたもの、各世帯の冬営地などでチンバムという雌牛の糞を丸めて積み上げた中にキンロバイの枝を敷き詰めた中に貯蔵する。これを春の終わりから夏の初めにかけて使う。牧畜地域は標高が高く、常に風に吹かれているので、熟成肉として貯蔵した肉から悪臭が発生することはなく、表面は少し乾いているが中は赤く栄養価のある肉となるのである。
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糞
牧畜地域の燃料の主なものは家畜の糞であり、それは秋に牧畜民の若い男女が冬営地や秋営地で乾燥した畜糞を集めて積み重ねたチンバムというものを作る。冬、牧畜民の土地は山も谷もみな雪に覆われてしまい、燃料を求めることができない直に役に立つので、燃料の困難から解放されるのである。
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糞
冬には女性たちがアガン(a sgang)という、風に吹かれて凍り、石のように硬くなった牛糞を家畜囲いから拾ってきて、それで家畜用の囲いをつくる。また、囲いの側に広げて徐々に乾かしてチンバム(lci 'bam)を作ることもある。それらは夏の雨の多い時期に燃料を集めるのが困難なときに、役に立つのである。
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服飾文化
伊達女はこの辮髪に、宝石、リボン其他の飾をつける。なおまた、女はその顔に臙脂を塗るが、それには支那製の臙脂を用い、夏は、山地の森林中に繁殖しているオランダ苺の果実を用いたりする。しかし、この臙脂を塗る風習は、甘粛にだけ行なわれているように見受けられた。
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家畜の個体管理
犛(ヤク)は、山地、しかも相当に海抜の高いところにのみよく棲息しているものだ。水は、犛にとって、なくてはならないものである。彼らは非常に水浴を好みまた巧みに泳ぐ。われわれは、犛が、急流の大通河を背に荷をつけたまま泳ぎ越すのを、一再ならず見うけた。
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食文化
東干の暴動以来非常に磚茶の高くなったタングート地方では、山地に繁殖している葱属の球芽を乾したのや、乾して圧縮すると煙草のようになる或る草を、磚茶の代用にしている。こうしたお茶の製造は、主に丹噶爾で行なわれているので、通称「丹噶爾茶」と呼ばれている。
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食文化
タングート人が、お茶とザムバの後で多く摂るのはタルイクすなわち、バターにするクリームをとった後の酸乳を沸かしたものである。タルイクは、タングート人の最も好む乳製飲料で、これはどの天幕へ行ってもある。富者はこのほかに、凝乳から一種の乾酪をつくって置くが、これはすでに奢侈品とされている。
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経済活動
青海には魚が豊富にあるが、ここで漁撈に従事しているのは、僅かに数十人の蒙古人に過ぎない。彼らはその獲物を、丹噶爾の市に持って行って商っている。漁撈の道具には、余り大きくない網が用いられ、就中川の岸べで漁をする。
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