「チベット高原万華鏡テキストDB」では、フィールド調査の記録や文献資料に記録された牧畜や農耕といった生業にかかわるテキストを引用し、日本語以外の場合は翻訳も添え、「搾乳と乳加工」「糞」「食文化」「服飾文化」などのカテゴリータグをつけて集積しています。地図上にはプロットできない情報を含め、民族誌や旅行記、史資料の中にバラバラに存在していた生業にかかわる情報を検索可能な形で統合して見える形にすることで、新たな研究を生みだすことを目指しています。
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冬コムギの導入がハダカムギだけでなく、マメ科作物を縮少したことが耕地の肥力回復過程を失なわせた。
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冬コムギを製粉してマントウやウドンにして常食する習慣はチベット民族にはなく、しかもそうするには燃料がツァンパよりも多くかかった。
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燃料は畜糞であるから、多量の燃料消費は耕地の肥料欠亡となってはねかえった。
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牛や羊の屠殺方法は漢民族のそれとは異なる。牛1頭を殺すのは1人でも可能だ。まず牛の四肢を革紐で縛り、次に口と鼻をしっかりと縛り、瀕死の状態になるまで1時間ほど窒息させ、最後は刀で絶命させる。羊の屠殺法はさらに興味深く、屠殺者が長さ6センチほどの鉄針を使って、羊の前肢の後ろ、背骨の下に、ちょっと一握りの毛をむしり取って鉄針を突き刺すと、血も見せずに腎臓を貫かれて死ぬ。腕が悪いと、腎臓を刺すことができずに羊は死なないので、ロープで口と鼻を締め付けて窒息死させる。牛や羊の皮を剥ぐときは、胸から手足の順に皮を剥いでいく。
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子羊が死んでしまうと、羊は乳を出さなくなると言われている。この時、牧夫は死んだ子羊の皮を別の子羊に被せて、乳を飲ませる。半月後、母動物はいつものようにミルクを搾れるようになるが、これは条件反射の刺激のようなものだろう。 チベット語では「dajia」といい、ミルクを出させるために必要ななりすましを意味する。
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一般的なヤクの屠畜法は窒息させることである。これなら肉の中に血をとどめておくことができる。そしてこれこそチベット人が好むやり方なのである。とはいえ、しばしば喉を切り裂いて死を早めることもある。
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かつて牧畜民女性たちにとって、ミルクで洗顔をするのは裕福な家の女性にしかできないことだったが、ホエーを煮詰めたクリーム(an rda)を顔に塗って数日置くことで、一つには日焼け止めになるのと、もう一つにはそのクリームで顔をカバーし、顔を美しく保つことができるので……
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それと同時に女性が柔らかな声でヤクの乳搾り歌を歌っているのが聞こえた。
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牧畜民たちが最も恐れているのは草地が荒れ地になることである。ナキウサギと牧畜民の間で何世代にもわたり怨恨の積み重なった争いが繰り広げられてきたのも、いわば草地のためであるのは言うまでもない。この土地がナキウサギの被害を受けているのは間違いなく、彼女が体重をかけて足を踏み出すごとに、破れた皮衣のようにぼろぼろに破けていくのである。
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子どもの頃、冬虫夏草は見たことはあったけど掘ったことはなかった。冬虫夏草を引っこ抜いたら罪を取り消せないと言われてたから、誰も引っこ抜いたりできなかった。
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ヤクのミルクで作ったクリームチーズ(サワークリーム?)なんて、世界でも珍しいのよ。
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ドンカルはそう言うと、再び鉄鍋の蓋を開けて、発酵乳が沸いたかどうか確認した。発酵乳を沸かしてオチュルというチーズを加工するのだ。このチーズは普通のチュラとは異なり、全乳でつくるので、牧畜民の特別かつ重要な食べ物として位置付けられている。これはお祭りのときや重要な客人が来たときにつくられるものだ。
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去勢は,家畜を太らせて,肉を付けて,家畜を飼い慣らすための1つの手段である。羊は生後数ヶ月で去勢できるが,牛は3年経ってから去勢をおこない,普通の牧夫はみな自分でおこなうことができる。羊は1人で去勢できるが,牛は2人で地面に縛り付けて,睾丸を切除する。 雇った人間に去勢をおこなわせることはほとんどない。朝から晩まで,1人で1日に3,4百頭の羊,100頭以上の牛を去勢する。
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柔らかい山羊皮で哺乳袋を作って用意してあるの。哺乳袋は今朝ウェンマ・ドルジェが赤ちゃんと一緒にお隣に持ってったわ。あなた、家に戻ったら赤ちゃんをお隣に預けっぱなしにしないでね。
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噂は人の口を経ると大きくなる。食べ物は人の手を経ると小さくなる。
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草が十分ではないので放牧集団は大抵十家族程度で構成される。
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裕福な牧畜民は、穀物入りの革袋を、外側が真っ黒になるまで、何世代にもわたって保管しつづけるのを好む。これは見せるためのもので、これらの保存食に手を出す必要もないほど食べ物が十分にあるということを示しているのである。
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朝、夜明け前に若い男性は起きてヤクを搾乳する。そして女性たちは火を起こして熱いバター茶を淹れる準備をする。それまでにはみんなが目を覚ます。もっとも子供たちはまだ寝ている。彼らが起きるのはいつも一番最後だ。
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フェルト作りは重労働である。古いフェルト生地を広げて、その上に羊毛を並べていく。その量は新しく作る毛布の厚さをどれくらいにしたいかによる。毛布によっては12フィート四方で1インチ以上の厚さにするものもある。
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羊毛の上に水を振りかけ、それをぐるぐると巻いていき、ゆるく縛ってから叩く。男性も女性も加わってこの工程を行う。棒切れや石、あるいは手で叩くこともある。叩き終わると、一旦広げて、今度は少しきつく縛る。