「チベット高原万華鏡テキストDB」では、フィールド調査の記録や文献資料に記録された牧畜や農耕といった生業にかかわるテキストを引用し、日本語以外の場合は翻訳も添え、「搾乳と乳加工」「糞」「食文化」「服飾文化」などのカテゴリータグをつけて集積しています。地図上にはプロットできない情報を含め、民族誌や旅行記、史資料の中にバラバラに存在していた生業にかかわる情報を検索可能な形で統合して見える形にすることで、新たな研究を生みだすことを目指しています。
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夜明けとともに出発して16~19キロくらい進み、普通正午前にはキャンプする。そして午後いっぱい動物たちに草を食べさせるのである。これがチベット人によってつづけられている普通の旅行方法である。
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(3月17日ダウにて)途中でわれわれはチベット人の大キャラバンに出合った。数百頭のラバから成り、羊毛、毛皮、鹿の角、ジャコウ、薬品その他チベットの産物を積んで打箭炉へ行くところであった。この季節には、毎日このようなキャラバンに合うはずであり……。
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それ(キャラバンのラバ)はずんぐりした短足タイプであるべきで、若すぎるよりはむしろ年老いたほうが好ましい。背中、腹帯の下、尾のつけ根の下などの傷はいつも注意して初期のうちにみつけなければならない。若い動物の背中にはれものがみつかったら、唯一の治療方法は2、3週間その動物を自由に走らせることである。
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皮舟は東チベットの川では一般的に使われていて、ボートはまったくみられない。チベットの皮舟は普通円形で、ヤクの皮を木の枠の上に張って作られる。3、4人乗れるが、非常に軽いので、1人で背負って運ぶことができる。
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3月18日カンゼにて……ある部落を過ぎたが、そこの家々の壁に塗って干した牛糞(チョワ、薪が得られない土地での一般的な燃料)は、この村の主な産業のように思われた。
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『漢蔵史集』の記載によると、上師パクパが1275年にチベットに戻って以来、「チュミク仁摩でウ・ツァン、ガリ各地の数万の僧衆を招集して転法輪(法会)を挙行し、集まった財物は黄金963両3銭、白銀の大きな塊9個、錦41疋、彩糸緞子838疋、繻子5,858疋、大きな茶葉の包み120個、蜂蜜603桶、バター13,728克(1克およそ14キロ)、はだか麦37,018克、はったい粉8,600克、その他細々とした品々は数に含めない」。
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王クンガ・レパの湿生期間中に彼がシカ(荘園)に巡視に言ったとき、各首領役人がみな丁重にもてなした。特にツァンに巡視に行ったときはリンプンの接待役人が肉・バター・チーズのある大宴会を催し、両方の大宗(リンプンと桑珠孜宗)に山のような財物を献上した。
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パクモドゥ政権は地方の発展のため、植樹造林事業をとても重視した。当時、チベット各地で植樹造林に相当な発展がみられたため、一部の地域の環境は以前にましてより優美なものとなった。植樹造林の成果は後世の人々に豊富な木材宝庫を提供することとなった。
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『ツォンカパ大師略伝』の記載によれば、大法会で「神や僧侶への供え物及び、喜捨された供物などは、概算すると、黄金921両と光厳450両相当の銀、バター37,060克(中略 約124トン)、青稞、ツァンパ18,211克(中略 約255トン)、白茶416両、磚茶163包、蔗糖18包、乾肉類2,172頭分、大きな柱や旗や幟33件、袈裟法衣30揃い、緞子290匹、織物731匹、柱面毯(未詳)50余条、大小の古い玉石60余顆、牛や馬などの家畜が白銀2,073両相当、灯り1つごとに献茶14盤、白香211克(以下略)
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4月9日、リンツン(中国名:林葱)にて、……遊牧民のテントは黒ヤクの毛で織った布の長方形のもので、下を乾燥したヤクの糞の壁で固めて、雪や風の日には非常に住みごこちがいい。土のかまどにはヤクの糞が燃える土製のかまどの前で、地面に敷いた敷物の上に腰をおろし、……。
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目的地のセシ地方(中国名:石渠県)の中国の県庁所在地に着いた。……中国人県長が暖かく出迎えてくれ、泥でできた彼の衙門の中にわれわれのための宿泊場所を用意してくれた。ここで唯一不快なことといえば極度の寒さであり、ヤクの糞以外に燃料がないことだった。
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セシ地方の領域はヤルン川を越えて北へ拡がっているように思われる。しかし、実際はその川は独立遊牧民地域の南国境を示しているようだ。夏期には雨や雪どけ水で増水し、ゴロク族の盗賊に対する有効な防備となった。冬期にはゴロク族は川を浅瀬で渡ることができるし、流れのゆるやかなところにできる多くの氷の橋を渡ることもできる。
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騎馬民族であるゴロク遊牧民は特殊な鞍を用いる。それはツァチュカ草原では一般に用いられるものである。非常に高い鞍頭を持ち、ポニーの鬐甲より15センチ以上高く立っている。背中の傷が長距離旅行者のトラブルの絶えざるもとになる地方で用いる最良の鞍である。
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5月7日、ナンチェンにて……狩猟している間、チベット紙を作る灌木の根を掘っているチベット人に出くわした。この紙はチベット全域にわたって用いられている。中国人は一部でそれを皮紙と呼んでいる。……チベットの木ペンは、木やわらなどの紙に同質化していない屑が残っている紙の上を支障なくすべっていく。
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(ナンチェンの)王はおきまりの羊、袋入りの穀物、乾燥カブなどを贈ってくれた。チベット語でニュンマ、中国語で円根というカブは、チベット産大麦栽培には標高が高すぎる不適な土地に育ち、通常、遊牧民によってわずかに栽培されている。薄片にして乾すと、何もない春季には、ラバやポニーの貴重なかいばとなる。
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(チャムドの手前の)サガン・ゴンバにて、……この付近の女性には不愉快な習慣がある。東チベットの大部分の地方ではふつうなのだが、顔を黒い油脂で塗って、美しい顔立ちをすっかり見るもいやな感じにしている。彼女たちはラマ僧たちにとって魅力がなくなるようにこうするのだと、どこかで読んだことがある。しかし、ここでは、ただ風から顔を保護するためにするのだといっている。
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11月5日、ポロ・ゴンバにて……ココノール(青海)の塩を南へ運ぶヤクの大キャラバンが今夕到着した。これはカムの主要交易の一つである。塩は北方遊牧民によってもたらされ、揚子江沿いの農業地域の大麦と交換される。もっと南方では、チベット人はツァカロ(塩井)のメコン河岸にある塩水井戸から塩の供給を受ける。しかし、ココノールやナグチュカの塩の供給地域と比べると、範囲はずっと狭い。
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道中、われわれは、ヤクにお茶や動物の毛、チベットの物資を積み、チベットから西寧に向かうチベットのキャラバン三隊に出合った。キャラバンは旅に出てからもう3ヶ月になるという。……大部分が徒歩であるが、幾人かは馬に乗っている。彼らは総数百人以上であった。キャラバンと一緒に信者に取り囲まれたどこかの活仏がチベットからクンブムの僧院に向かっていた。
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彼(タングート)の天幕は野営地から2キロのところにあった。……かまどのそばの彼の右側の、チベット製の布地で塗ってある刺子した敷布に坐るようにという。かまどにはお茶が沸き、チュラや牛乳、ツァンパもある。奥さんがスプーンで茶碗にお茶を入れ、羊の腹膜からじかに手でバターをつかんで茶碗に放り込む。羊のラードでいためた小麦で作った丸パンがお茶に付けて出される。
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私の咽頭の病は次第に悪化し、王侯の忠告に従って、あるラマ僧の許を訪ねたところ、彼はすぐさま強烈な麝香の匂いのする暗褐色の花粉を咽頭に吸入する療法で癒してくれた。この花粉は、ラマ僧の言うところによると、四川の高原に生えるある種の高山植物から集められたものである、ということだった。