「チベット高原万華鏡テキストDB」では、フィールド調査の記録や文献資料に記録された牧畜や農耕といった生業にかかわるテキストを引用し、日本語以外の場合は翻訳も添え、「搾乳と乳加工」「糞」「食文化」「服飾文化」などのカテゴリータグをつけて集積しています。地図上にはプロットできない情報を含め、民族誌や旅行記、史資料の中にバラバラに存在していた生業にかかわる情報を検索可能な形で統合して見える形にすることで、新たな研究を生みだすことを目指しています。
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ヤクもヒツジもヤギもみんな乳を出すけれど、ヒツジとヤギは一年のうちのごく一部の期間しか乳を出さないのは憶えておかなければならないよ(ヒツジは夏の3か月、ヤギは4か月半)。年中搾乳できるのはディ(雌ヤク)だけだ。だから夏の間はうちの家畜からたくさんの乳がとれるけど、冬はほとんどとれないんだ。
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われわれがヤギ/ヒツジの搾乳雌155匹とヤクの搾乳雌11頭からとれる乳量を計算したところ、夏の盛りのピーク時にはこの3種の搾乳雌から1日あたり7ガロンの乳量がとれていたが、冬になると1日あたり3クウォートほどしかとれなかった。
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われわれ牧畜民は夏の豊富なミルクの大部分をバターやチーズに変えるんだ。そうやって保存しておけば新鮮な牛乳が手に入らないときに使えるからね。何か必要なものができたら代わりに売ることもできるし。
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牧畜民は結局のところ、事実上は生乳をほとんど飲まないのである。代わりに、われわれと同じやり方でヨーグルトを作る。乳を加熱して冷まし、乳酸発酵スターターを加えて布で包んで一晩置いておく。翌日の午前中の半ばには、ショと呼ばれる、濃厚で酸味のある滑らかなヨーグルトができる。女性たちはほとんどのヨーグルトを攪拌してバターにして、ほんの一部だけをとりわけておいて食事のときに食べる。
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大きな家畜群をもっている世帯はヤクの乳を別に取り扱う。というのも、ヤクの乳のバターは黄色くて、ヒツジやヤギの白いバターに比べて好まれるからである。しかし全ての種類のミルクを単純に混ぜてしまうのが普通である。
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屠畜は腸詰めに使う血を保存できるやり方で行われる。ヒツジとヤギは首の脊椎の間に長い縫い針(3-5インチ)を刺して殺すが、ヤクの場合は剣で殺す。
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ヤクの屠殺は、その大きさゆえ、数人の男性が協力して行う。まず最初に縄をかけ、地面に引き倒し、4本の脚を縛る。ヤクの魂を慰める短い祈りの言葉を口にする。それから2フィートの剣を腹に挿入し、ゆっくりと突き上げて心臓に貫通させる。ここで止めたり、前後に動かしたりして、10分ほどかけて絶命するのを待つ。一旦動物が死んでしまえば、男性たちは解体を自由に手伝う。というのも、罪になるのは殺すところだけだからだ。
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牧畜民が生きていく上での皮の重要性を考えると、彼らが自分の手で皮なめしを行わないのが不思議に思える。彼らは皮なめしを農民の仕事と考えている節があるのだ。彼らは農民のことをプダと呼び、自分たちとは根本的に異なる社会カテゴリーに属するものと考えているのだ。1987年には、なめした皮10枚分を生きたヒツジ1匹と交換していた。
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毎年5月、農耕地帯での耕作が終わったところで、農民たちが隊列を組んで北の牧畜地帯にやってきて、牧畜民との仕事や交易に従事する。これらの農民(実際には、畑も持ち、家畜の群れも飼っている半農半牧民であるが)のうち各世代のうち一人か二人は牧畜民の女性と結ばれて、そのまま牧畜村に居着いて自身も牧畜民になった者がいる。しかしながら、その逆のケース、つまり牧畜民の女性が農村に嫁ぐということは起こらない。というのも、農民の女性が行うべき基本的な農作業の経験も技術もないからである。
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9月の初めになると、農民(半農半牧民)たちは収穫作業を行うために、1か月ほどかかる長い道のりを帰っていく。このときは、長い夏の労働の対価であるヒツジやヤギの群れを追いながら帰って行くことになる。
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ほら、われわれは明らかに楽な暮らしをしてるだろ。草は勝手に育つし、動物は勝手に増えるし、こっちが何もしなくたって乳や肉をくれる。だからわれわれの暮らしがきついなんて言えないさ。土を掘って種を蒔く必要もないし、農民がやってるみたいな難しくて面白くもない仕事をする必要がない。それにわれわれには暇な時間がたっぷりある。夏になれば大勢の農民たちがわれわれの仕事を手伝いに来るだろ? でもわれわれは彼らのために働きに行かないだろ。前にも何度か言ったけど、大変なのは農民の暮らしだよ。われわれじゃなくてね。
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他にもシャンシュンのポン教医学の古文書などに、できたばかりの傷口にはバターを溶かして注ぐことで止血すると書かれていることから、古代のシャンシュンのポンの教えが広まっていた時代に生乳や酸乳からバターを取り出す技術が広く行き渡っていただけでなく、バターの効能についても十分に検証がなされていたことがわかる。これに基づき、ウシ科の雌畜から乳製品を得る習慣は古くまで遡ることができることがわかる。
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バター作り:新鮮なミルクをバター桶(攪乳器)に入れて1200回から1400回上下に攪拌すると、バターが分離して表面に浮いてくる。出てきたバターの量に応じて冷水かお湯を投入する。夏は夜明け前から搾乳してそのままバター加工に進むので、全部で三回にわたって行うことになる。(具体的には)前の晩に一回、翌日の明け方に一回、午後に最後の一回のバター作りをする。冬は一回のみである。投入する水の温度に気をつける必要があり、攪拌の回数は多いほどよい。このように同じ分量のミルクからより多くのバターを取り出すことができ、またバターに含まれる水分量も少なくなる。
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まず牛乳を加熱し、円筒形の容器に入れたら、積み草の中に置いて布を被せて一晩置くと、翌日には酸乳ができる。これを横長の円筒形の容器(チベット語でシャトゥ)に入れて、温かいところまたは日当たりのよいところで2時間前後振盪させると、上にバターが浮いてきて、下にはバターミルクができる(チベット語でタラ)。バターミルクを煮沸した後、手でほぐし、天日乾燥させると乾燥チーズの完成である。残った汁(ホエー)はツァンパと混ぜて食べてもよい。
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ソシェはニンティ市のポウォ(ポメ県、波密県)で広く作られており、土地の名物となっている。ソシェを使った料理も様々なものがあり、保存の仕方も特別なので、気温の高い地域でも一年間ほどは腐らずにもつ。重要な旅に出る際にソシェを持たせるなどの習慣もあるという。詳細について書かれた文献は少なく、現地に詳しい人に調査する機会も得られなかった。
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ルグ・タクショ:これはチャンタンの西部のヒツジの多い地域で行われる祭である。毎年初夏、0-1歳の仔羊を母畜から引き離す時期(離乳時期)が近づいてきた頃、数日間にわたり、午前中0-1歳の仔羊を別にして、雄ヒツジと一緒に遠くまで放牧に連れていき、母畜はテントの側で放牧をし、夕方仔羊たちが帰ってくる前に一回搾乳をするのである。また、夕方に仔羊たちを丸く作った柵の中に入れて、母畜を別の囲いの中で寝かせ、朝早く仔羊の哺乳が始まる前に一回搾乳をする人々もいる。
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(ルグ・タクショ続き)このようにその年、雌ヒツジを最初に搾乳するイベントはミルクの季節の始まりを告げる合図でもあるので、最初に搾った生乳は酸乳にした後、バターを取り出す攪拌作業に入らずに、家族みんなが集まる機会などに一緒に食べる。この習慣をルグ・タクショという。
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チュリュはチベット南部に広く見られる食品である。まずチーズを布製の袋などに入れて温かいところで長期間袋に入れたまま、腐るにまかせる。その後、天日乾燥をする。
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腐敗臭が少しするチーズを、スープ(トゥクパ)を作るときに分量にあわせて適量入れて長時間加熱し、できたスープの中に肉や脂肪、ジャガイモ、春雨などを入れて再び加熱したら食べる。このチュリュ・トゥクパは腐敗したチーズを使うので、入れ過ぎないほうがよい。味は美味しいが、胃腸の弱い人は消化が難しい食品でもある。
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細粒乾燥チーズ(チュルシプ)を水に浸して柔らかくなるまで戻したら、バターと砂糖を少し入れてよく捏ね、小麦粉をよく捏ねた生地を平らに伸して八翼に切るために?(brgyad gshog tu gtub par)、一口サイズになるように肉入りのモモと同じように包んでゆでたらできあがりである。チュラ入りのモモは甘酸っぱくて美味しく、食欲が増進するうえ、見た目も美しく、赤い(肉の)臭いのないモモである。
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