「チベット高原万華鏡テキストDB」では、フィールド調査の記録や文献資料に記録された牧畜や農耕といった生業にかかわるテキストを引用し、日本語以外の場合は翻訳も添え、「搾乳と乳加工」「糞」「食文化」「服飾文化」などのカテゴリータグをつけて集積しています。地図上にはプロットできない情報を含め、民族誌や旅行記、史資料の中にバラバラに存在していた生業にかかわる情報を検索可能な形で統合して見える形にすることで、新たな研究を生みだすことを目指しています。
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娘たちは一般的に14歳で乳搾りとバター作りができる。この技能は、女子の労働力を測る基準であり、配偶者を選ぶ条件でもある。
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彼は座り込んで、自分のアンバグ(懐)から乾燥チーズを一切れ取り出して、食べ始めた。この発酵したチーズは、ロックフォールチーズに似た味がした。ヨンデンはこの美味しいチーズを食事のときに食べたいと考えて、この地方で手に入るかと尋ねた。男はできると答えた。この洞窟からそんなには遠くない彼の家にもそれはあって、もし私たちが針を持っているのなら、交換してもよいと言った。
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まず、早朝のミルクを取っておいて、昼搾りのミルクで酸乳(ヨーグルト)を作る。酸乳はミルクを沸かした後に冷却して発酵させる。発酵を促す方法は、奶渣(凝乳?)または前日の酸乳を少し加える。その(酸乳の)状態は、石膏の豆花に似ている。味は美味である。
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バター作りは早晩のミルクを昼のミルクと一緒に桶の中に入れる。バター桶は高さ3尺5寸、口径は7寸、中にピストンを入れ、中心に4尺の長さの木製の柄を差し込んでいる。バターを作るとき、両手で柄を握り上げ下げする、2000回ばかり突いてバターができるときに、突きながらお湯を加え、常に油桶(バター桶)を揺らすと、バターは豆浆を絞ったおからと同じように浮かび上がってくる。そして、取り出して水桶の中に入れ、もみ洗いしてこねると、保存できる。桶に残った奶渣(バターミルク)は、乾かして乾燥食品にできる。
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私が歩きながら乾燥したツァンパを食べていることに気づくと、アンバグ(懐)から一片のパン菓子をとり出して、私にくれた。(中略)焼き上がったばかりの小麦色のパンは、不味いどころか、最後の一切れまで呑み込んでしまうほど美味しかった。
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コンブ地方から来た彼は、チベット人の大好きなその地方の、固めた糖蜜入りの小さなパンを袋一杯持って来ていた。彼は別れぎわに私にそのお菓子を二個ほどくれた。
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ポルン・ツァンポ川の右岸には、ダシンの近くで、山脈を横切って北方に向かうもう一本の道筋が発していた。その道は、ラサからチャムドへ通じる郵便道に連絡し、更に先では分岐して、草の砂漠へ向かう数本の道となっていた。そのうちの一本は、隊商がラサに茶を運ぶ道筋にある、チベットの経済の中心地ジェクンドへと通じている。そこから無人の地を横切って、北方に歩き続けると、甘粛省の西寧とダンカルという、中国人とチベット人のバザールに行くことができる。そこをさらに進んで行くと、モンゴルに到る。
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ヨンデンは、当然ここでも、ほかの家でと同様に、占い師が取り扱う種々の事について相談された。このときにはヨンデンは儀式を終えてこう告げた。ルに牛乳のお供えを受納してもらうように、そして、何よりも先に、この家と家財道具を入念に掃除して、神々に不快な思いをさせないようにすべきだと。
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娘は生地を捏ねる仕事を止めて、「新年のガレット」を美味しいマイルドな油で揚げた。ポ人たちは杏の種から油を絞るのだ。
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彼らは峠を越えて、少し下った木々の下で夜を過ごした。朝日が昇ると、ポ人たちが峠の頂きに登ってきた。彼らは干した杏ととうがらしをヤクの背に積んで、大麦と交換するために近くの村にでかける途中だった。
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秋の終わり、牛や羊がまるまると太ったところで屠殺が開始される。屠殺を終えたら、6、7か月間保存できるよう、皮と内臓は包んで保存する。寒冷な気候ゆえ、腐敗しない。牛を殺すときはまず四本の脚を革紐で縛り、牛が地面に倒れたら、角と前脚を括り、口と鼻をしっかりと縛り、30分間そのままにして、牛が気絶するのを待ってナイフで絶命させる。
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長い間牛や馬、羊とともに暮らしている牧畜民は、一人で何百頭もの家畜を放牧していても、毛の模様や角の形、蹄の形、大きさなどの特徴にもとづいて、斑模様の小馬とか、ぼろ耳?、湾曲角の羊、などのように、一頭一頭を呼び分けることができる。こうすると、見失った家畜を見つけることができるのである。
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その製法は、牛乳を煮沸したら木桶に入れ、桶の蓋の上から突き出た攪拌棒(ピストン)の持ち手を不断に上下動させる。その後脂肪分が浮かんでまとまってくるので、それを取り出してきれいな水の中で大きな塊にしたらバターのできあがりである。桶に残った残滓がチーズであり、ミルク部分が酸乳である。バターの生産量は、ゾルゲとモワで年間約13万斤におよぶ。90斤ごとに牛皮で包んだバターが松潘,黑水,四土嘉绒等に運ばれている。
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お茶は主に馬茶(粗茶の一種で味は濃い)と磚茶の両方で、チベット人は馬茶を好んで飲む。野菜はなく、ツァンパを食べるのに必ずお茶を飲む。お茶に少量の牛乳を入れて煮出して乳茶を作る。南坪や平武のチベット人は現地の漢族と同じものを食べており、主に焼いた饅頭、トウモロコシ粉、ジャガイモ、トウモロコシ粉の「撹団」を食べ、お茶はあまり飲まず、牛乳も飲まない。
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草原には樹木が乏しいので牛糞を燃料にする。牛糞を拾ってきたら、ハダカムギの藁を細かくしたものを湿糞に混ぜ合わせ、平たく丸い形にして塀に貼りつけ、乾いたら燃料として利用できる。
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まず牛乳を直径1.5市尺、高さ2市尺の木桶(1回あたり約100斤分の牛乳が入る)に入れ、約3市尺の長さの棒の下に小さな板をつけた棒を桶の中で上下させ、これを2000から3000回繰り返すと、牛乳の中の水分と脂肪分が分離する。浮いてきた脂肪分がバター(バターをさらに加工してバターオイルにする)で、桶の中に残ったバターミルクを煮沸したあと漉しとったものがチーズである。チーズの主成分はタンパク質である。
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物々交換は、畜産品や農産品の収穫を終えたばかりで、生産が忙しくない冬に行われる。牧畜民は畜産物(バター、チーズ、皮、毛など)を、銅器や鉄器、塩、綿布その他の製品と交換する。また農民は、農産物と木工製品を持って、牧畜地区に行き、バターやチーズ、羊革などと交換する。熱当壩部落の人々が近隣の農業地区で穀物と交換するときの比率は、バター1斤につき大麦5斤、羊皮1枚に対し大麦20斤である。
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汶川や理県はギャロン・チベット族が多く暮らし、トウモロコシを主食としている。食べ方は主にはトウモロコシ粉に水を加えて蒸したものや、米を混ぜたものは「金銀飯」というもので、焼き饅頭も一般的である。また、トウモロコシ粉に漬け物を加えて煮た「撹団」も食べるが米はあまり食べない。野菜はカブの漬け物が中心で、油もかなり少なめである。高地では大麦、ソバ、ジャガイモが比較的多い。
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この土地のチベット族の主な食べ物は大麦のツァンパ、ふすま入り蒸し饅頭、馬茶、バター、塩、漬け物、続いてトウモロコシ(あるいは蕎麦粉)の蒸し饅頭、トウモロコシやエンドウ豆のツァンパ、豚肉、カブ、雑酒、米などである。一日三食、特別貧しい家は農閑期には二食である。
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タバ荘園はメトクンカルの製陶の中心地の一つであり、中央チベットの中でも有名な製陶村の一つである。タバ荘園には20軒以上の農家があるが、その大部分は製陶を兼業している。(中略)製陶一家は一般に、家庭の中で製陶技術を身に付けている者は一人で、それ以外の人間は赤土や灰土(黄土?)を掘り出して運んできたり、アミニウム(シャト)を買ったり、釉薬を作ったり、燃料用のラマ(牛糞に比べて火力の強い燃料で、土のついた草と根の塊)を掘り出して運ぶなどの作業を行う。