「チベット高原万華鏡テキストDB」では、フィールド調査の記録や文献資料に記録された牧畜や農耕といった生業にかかわるテキストを引用し、日本語以外の場合は翻訳も添え、「搾乳と乳加工」「糞」「食文化」「服飾文化」などのカテゴリータグをつけて集積しています。地図上にはプロットできない情報を含め、民族誌や旅行記、史資料の中にバラバラに存在していた生業にかかわる情報を検索可能な形で統合して見える形にすることで、新たな研究を生みだすことを目指しています。
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チベット産の塩や羊毛、毛織物、麝香などの商材はチベット人の隊商が持ち込まれており、中国人の貿易商に売られる麝香以外はチベット人と直接取引されている。
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初日の移動中、われわれは硫黄系の温泉を数多く通過した。遊牧民たちはこの臭いのする温泉が家畜の健康によいことを知っており、少なくとも年に一度はこの地域に二、三日逗留して放牧するのである。
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そこは快適で比較的清潔だったが、われわれは翌朝には5時間ほど西へ向かい、ヤク糞でできた夏の家畜囲いの側にテントを張ることにした。ヤク糞の家畜囲いはテントの防風壁として、またささやかな蓄えとして、理想的なものである。もっとも風雨に侵食されるので毎年補習が必要ではあるが。こうした壁は雪が降って地面に散らばったヤク糞を覆ってしまったときに非常用の燃料になるのである。
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テントは30×15フィートで家財道具であふれている。乾燥した粘土でできたかまどが中央に据えられ、両側は居間と寝間となっている。
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食料や衣類の詰め込まれた箱や袋がテントの端をぐるりと取り囲んでおり、テントの裾部分に積み上げたヤク糞とともに隙間風が入ってくるのを防いでいる。
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テントの最奥は仏壇になっており、真鍮製の神々像や図像が据えられ、前には供物の椀が並んでいる。
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胃袋入りのバターをはじめ、竹製の茶漉し、柄杓、そして畑作物や肉などの供物が束にして、みな支柱にぶら下がっている。
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テントの屋根部分は中央で二つに分かれており、1フィートほどの天窓がある。そこはかまどの真上となっており、煙出しやあかりとりとして機能している。
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テントの片方には年老いた夫婦が羊の毛皮をかけて横たわっており、片側には2匹の仔羊が休んでいる。
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台所用品はかまどの周りや上に置かれている。銅製の柄杓が一つ二つ、陶器のティーポット、真鍮製のやかん、お茶を攪拌するためのカバノキ製の攪拌器、松の木製の肉用まな板、そして花崗岩製の手回し石臼などである。
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チベット文化は麦の料理法の上からみると、ツァンパやユツ、炒り小麦に代表されるように、炒り麦調理が基本的日常食となっている世界唯一の国である。これはいわば、古代中国の糗や、インドのサツウの原形がそのまま今日に残されている場所であるといえよう。
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ツァンパの大麦は熱砂炒りが原則であるが、時に前処理として給水させることがあり、その方法は、脱穀した大麦を布袋に入れ、冷たい川に二時間ほど浸す。それを三日間放置して、一日天日に乾かす。これを炒って製粉する。この前処理にはパーボイル加工のような加熱はないが、それはすぐ炒るのだから当然である。この前処理はやはり、水分の多い未熟刈りの加工と関係づけて考えるべきであろう。
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チベットにはこのほか雑炊料理のシャクパや、穀粉の厚焼きのインドのロティと同様なディローもある。これらは前記柳本氏のソロクンブのシェルパ族の場合には小麦は使われておらず、雑穀粉だったが、これは当然だが小麦粉、あるいは炒った小麦の粉がよく適合する料理と考えるべきであろう。
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チベット文化のこれらの麦類の食べ方全部を通じてみて、チベットの麦食法は、中国とインドの場合の祖先型とみてよいだろう。
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現在の中国には麦を炒った加工法はほとんど知られていない。わずかに華北の地のチャタン(茶湯)がそれを代表していると言えよう。これは大麦(裸)を炒って粉にしたもの、つまり日本のハッタイ粉である。これを火にかけて炒りながら、骨油を混ぜ、ゴマ、砂糖などを加えて食する。つまり、大麦のハッタイ粉を練るのに珍しくも油を加えて食べる方法である。
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ところが古代中国をみると、炒り麦製品がたくさん登場してくる。中国の春秋戦国の頃の文献に『糗』(キウまたはショウ)という文字が登場してくる。糗は麦や米を炒ったままのものである。これがすこし後世になると、それから粉がつくられ、炒麪(シャオメン)として登場してくるという。
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穀粒を炒るという加工は、野菜状態かあるいはそれに近い状態の麦類で、穂が成長すると脱落するような場合に、その脱落性のあらわれる完熟前の水分の多いものを収穫する。つまり未熟刈りをする方法によく適合している。
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野生型の小麦でも大麦でも、それらは裸型でなく皮型で頴をかぶったままの穀粒が得られるので、それらを食べられるようにするために、炒っている間に穎を焼いてしまえば、簡単に炒った穀粒だけが得られるという利点がある。
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サツウは古代インドでは、サンスクリット名をサクツウの名をもって、インド最古の文献リグベーダの中に見出され、おそらくインドに侵入したアリアン族は主として大麦を栽培し、それを粥とサツウの形にして食べていたものと想像される。
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インド古代の料理法をみると、麦を炒った料理系列のものはほとんど全部が登場してくる。まず大麦を未熟刈りをしたものを炒ったものがアウクラであり、それを杵でついて粉にしたのがアビューサとなる。大麦を炒ったままのものはダーナーブと呼ばれ、リグベーダに登場してくる。