「チベット高原万華鏡テキストDB」では、フィールド調査の記録や文献資料に記録された牧畜や農耕といった生業にかかわるテキストを引用し、日本語以外の場合は翻訳も添え、「搾乳と乳加工」「糞」「食文化」「服飾文化」などのカテゴリータグをつけて集積しています。地図上にはプロットできない情報を含め、民族誌や旅行記、史資料の中にバラバラに存在していた生業にかかわる情報を検索可能な形で統合して見える形にすることで、新たな研究を生みだすことを目指しています。
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ヤクは単に乳や肉、毛などが利用されるだけでなく、住民にとっては古くから他の家畜とは異なった「特別な家畜」として認識されてきた。モンパ民族の地域社会においてロサル(チベット暦正月)などのお祭りのときにヤク・ダンス(ヤク・チャム Yak Cham)が行われることからも、人々のヤクに対する思い入れを知ることができる。これは、ヤクの毛皮あるいは黒い布で作られたヤクを模したかぶり物に2人の人が入って動き回り踊るというものである。ヤクがこの地域の人々にとって古くから重要な家畜として根づいていることは確かである。
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チベット高原に暮らす牧民たちは寒さと戦いながら、伝統的な牧畜業を通じて自給自足の生活を営んできた。そこでは、家畜の乳や肉、毛皮の利用と並んで糞もまた資源として使われてきた。糞は、暖房や煮炊きなどの燃料としての用途の他に、積み上げてテントの風よけや家畜囲いにしたり、冬季の肉の貯蔵庫や子供の遊具にしたり、宗教儀礼の際の材料とするなど、さまざまな用途で広範に用いられている。
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ツァンパの味をよくするために、主婦はよく干しアンズ(chuliphe)や干しリンゴ(kushiphe)を少量、添加する。干し大根を添加したツァンパ(nyungma-tsampa)は廃れている。エンドウ豆からも、煮たあと干し、次いで粉にしてツァンパをつくる。もっとも、このツァンパは持ちが悪いから、大てい、も一度煮て食べる。
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男は終日竈の側で茶を飲んだり、煙草をすったり、世間話に時を過ごすが、……男の中でも腕力の強い横着者は、一本のチベット刀を差し、小銃を背負って……掠奪、強盗をやる。あるいは狩猟に出るか、羊毛、皮革、乳製品をつけたヤクを負って漢、回の街や農耕地帯へ、穀物、その他の必需品との交換に出かけるくらいのことはする。なにより蒙古人よりましなのはヤク、山羊の毛を糸に紡いで……ラシャを織っていることだ。
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織物はたいてい幅20センチくらい、長さ7メートルくらいに織られている。……広場に、約15,6メートルの間隔を置いて両端に杭を立て、10条余の縦糸を張り、1本の物差しのような木を巧みに使って、紡いだ巻糸を縦糸の間に通して、編んでいるのを見かけるのである。
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女は放牧、家畜の世話、乳製品作り、燃料のアルガリ(畜糞)集め、炊事、裁縫と暇がなく、耕作もしている。
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朝食はお茶とザンバーだ。バター、チュラーの豊富なこの地では、ザンバーを乳茶をバターとチュラーを手でこねまわして食べ、その後必ずタルグ(ヨーグルト)を飲んでいる。昼食も朝食と同様で、夕食はヤクか羊のヤスタイマハ(骨付き肉)を多量に食べ、その後でうどん汁か少量のザンバーをとっている。……野菜もネギ、ニンニク、唐辛子くらいのもので……。
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品物の購入にも、蒙古と同様貨幣の価値を認めないこの地方では、すべて物々交換であるが、銀貨だけは流通しているのである。
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上流階級のラダック人は食事前にいつも顔と手を洗う。仏教徒も食前に特別な感謝のお祈りをする。まず小麦粉を少しつまんで、神々のためにすてる。それから、薬指と親指を茶やチャン(ビール)に浸して、同じように神々のためにちょっと指ではじく。薬指を使うのは、これがいちばん清潔な指だと思っているからで、人間はこの指を鼻に入れて生まれてくるという。何かをかきまわすときにもこの指を使う。食用に羊を殺したら、心臓、腎臓、肝臓、その他各部の肉を少し神にささげることになっている。
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肉は普通の家庭では、どちらかといえばぜいたくだが、いろんな調理法があって、とてもおいしい。ごちそう(ドウン)を作るときはもちろんライスカレー用に肉を用意するが、まず肉を多量のバターや玉ねぎと一緒にフライにしてから、たくさんの野菜と一緒に風味のあるソースをかけて、すっかり軟らかくなるまで何時間もかきまぜる。米飯はめいめい普通の皿を持参する場合は別として非常に大きな皿に山盛りで出されるが、一つの皿を二、三人の客で平らげにかかる。
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ごちそうは普通バター茶で始まるが、その際、米飯や肉の皿が下げられたら、一部の社会では、お椀を舌でなめてきれいにして(洗うよりもよほど労力の節約になる)、干しアンズのシチューが注げるようにするのがたいへん良いマナーだとされている。このコースが終わると、同じようにお椀をきれいにしてバター茶が注げるようにする。「チャパティ」というのは丸くて平べったい、パン種を入れないパンで、普通これも出てくるが、アンズのジュースか茶につけて食べる。
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盛大なごちそうのコースはギャツウという料理で始まるが、これはスパゲティに似た細長いめん類に風味のよいソースをにつけたひき肉がかけてある。肉は切り刻んでモモという、おいしい小型の肉だんごにするか、味をつけて巻いてソーセージにして米飯と一緒に食べる。実際、金持ちは米飯が出ると、各種の肉料理、ソース、野菜など、いろんな副食がまわってくるが、野菜はよく酸敗していることがある。
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しかし村では肉屋もなく、羊もたまにしか殺さないので、主食はバター茶と大麦の粉で、各種の野菜をいろいろ工夫して変化をつけるぐらいが関の山だ。非常に貧しい人たちは麦粉をそのまま水にとかして、安物の木の椀から指ですくって食べる。
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ラサの集合住宅ゴラ(sgo ra)のドアというドアには、ある護符が貼られるようになった。それは、ヤクと羊と思しき動物が上下に配された手書きの絵画のコピーである。
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この「振り返りの九眼」は、遊牧民たちが羊やヤクの放牧に従事するときに使用する投石ロープ「グルトー」('ur rdo)の縄部分にも刻まれていることが多い。
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毎年夏の吉日に、ラサの郊外ではオンコル('ong skor)と呼ばれる収穫の祈祷祭が催される。正装で着飾った100人ほどの村人たちが祈祷矢(mda')を持ち、背中に経典を担ぎ、太鼓やチベタンシンバルを打ち鳴らしながら、自分たちの村の畑を右回りに周回(skor)して方策を祈願するものである。この長い列の先頭、お香の煙の出る籠を背負った者のそばに、シバホのタンカを高く掲げ者がいる。夏の畑には害虫もいれば、季節外れの雹が降ることもある。また、雨季である夏に雨が適度に降ってくれなければ、せっかく実った大麦は枯れてしまう。そういうクリティカルな時期を見計らって、麦畑の「境い目」を練り歩きつつ聖化していくのである。
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人間が生まれる瞬間、五体ないしは六体の神が同時に生まれる。「宿り神」('go ba'i lha)と呼ばれるその神々は、新しい生命をその一生のあいだ加護するための身体の様々な部位に宿るとされる。例えば、土地神(yul lha)は頭頂に、ダラと呼ばれる敵神(dgra lha)や父神(pho lha)は肩に宿る。そのほか母神(mo lha)やシャンラと呼ばれる伯父神(zhang lha)、ソラと呼ばれる命神(srog lha)などがいるが、どの宿り神が身体のどの部位に対応するかは、特に統一されていない。
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本来シャクツァムは、骨から脂肪を削ぎ取り、麦焦がしと捏ね合せて作る非常においしいものである。
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叔母は「ヌコ、ヨーグルトを食べ終わったら、(野生の)葱を何本か取ってきておくれ。今日はアテルワテルを食べよう」といった。私が葱を持ってゆくと、叔母はトルの肉を刻み終わっており、そこに葱や塩などを加えた。それを丸めて、ゾモの羊膜で包んで紐で縛り、十個以上の団子を作った。それを煮て、一人二個ずつ食べた。
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タムコ叔母は「アテルワテルの中にトルの血を混ぜるといいんだよ。それに肺に血を加えて食べてもおいしいね」といった。