「チベット高原万華鏡テキストDB」では、フィールド調査の記録や文献資料に記録された牧畜や農耕といった生業にかかわるテキストを引用し、日本語以外の場合は翻訳も添え、「搾乳と乳加工」「糞」「食文化」「服飾文化」などのカテゴリータグをつけて集積しています。地図上にはプロットできない情報を含め、民族誌や旅行記、史資料の中にバラバラに存在していた生業にかかわる情報を検索可能な形で統合して見える形にすることで、新たな研究を生みだすことを目指しています。
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1201
キャンの繁殖期と非繁殖期における,家畜(ヤギ,ヒツジ,ヤク,ウマ)の放牧域とキャンの生息分布域の状況から,土地利用における時間と空間の「ずらし」による相互回避によって,草地や野生動物への負荷を軽減する仕組みを確認した。
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1202
羊の毛を用いると、ヤクとロバの毛を用いたときよりも目の詰んだ布地ができるので、その毛は主に衣類に使う。羊は比較的、寒さに強いから、ヤギと同様、夏の初めに毛を刈る。その場合、まず背中の毛を、次いで数日後、腹の毛を刈る。
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1203
ヤクに去勢を施す(phya byed pa)ことはrna phab paともいう。1-2歳の仔畜の時、吉日のよい時間帯を選んで、二つの睾丸を取り出す習慣がある。まず1-2歳の雄の仔畜を紐で縛り、陰嚢の根元を縛り、小刀で割いて、睾丸を取り出し、傷口にはヤクの毛織りの反物を焼いた灰を詰める。(睾丸は)白い羊毛で包む。紐を外した後、尻尾の先端を3回引っ張りながら、「phya yang lag yang。山のごとく大きくなれ。鳥のごとく速くなれ。マーモットのごとく太れ」と言いながら取り出す。
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1204
毛は、1枚の金属を用いて作ったハサミで刈る。このハサミの柄はバネが効いている。刈った毛はすぐには洗いも打ちもせず、小さな籠にしまっておき、必要な時に必要なだけ取り出す。
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1205
種ヤクも去勢することがある。そのやり方は、陰嚢の根元を紐か伸縮性のあるゴム紐で縛り、自然に落ちるのを待つやり方である。このとき種ヤクは痛みに耐え切れずに草も食べずに長い間横たわっており、体力を失ってしまうこともある。
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1206
梳毛には、釘が出た板に握りが付いた、パルチェ(palchet)と呼ばれる。低地産のブラシを用いる。この道具は、毛がほぐれ、かつ汚れがとれるように、目の細かい歯(so-tungtse)と粗い歯(so-ringmo)を配列してある。
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1207
フェルト作りも職人の仕事である。このため、葦製の一種の網が用いられる。この網を地面に敷いて、バラバラの羊毛を積み上げる。羊毛の各層はお湯で濡らす。そして網を羊毛とともに巻き上げ、繊維をもつれさせるために、この束を長時間かけて前後に転がす。するとフェルトは天日干ししてすぐに使えるようになる。同じ職人は、良質な羊毛からモンゴル族(土族)が着用する丸いフェルトの帽子を作る。丸いフェルトができたら、まだ濡れているうちに、帽子にするために型に張り詰める。
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1208
パルチェを使う場合、汚れをとりやすくするために、粘土を含んだ白い土を毛に塗りつける。この変わった汚れのとり方はザンスカル渓谷全土に見られる。
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1209
汚れをとった羊の毛は集めて籠の中に戻す。ロバとヤクの毛は汚れをとらず、直ぐに撚って太い糸にし、次いでそれらを結び合わせて輪(kirpi)をつくる。男性は必要な時に必要なだけ、この輪に前腕を通して糸をつまみ出す(太い糸は常に男性が製織する)。
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1210
仏教で屠殺を禁じるのは、釈迦の教えの中心概念である「アヒンサー」に由来する。屠殺と肉食は、ヤクの苦しみと死につながるため、仏教徒のヤク飼養者にとって妥協の産物であり、罪意識のもととなる。罪意識から逃れるために、人々はヤクの屠殺を合理化し、責任を最小化するような方法で行う。例えば、子ヤクが母ヤクの授乳を拒否される。そのような家畜は餓死し、血は流れないので、死は運命の問題であり、人為的行為の結果ではないと考えられる。餓死させることが現実的でない場合、他の方法がとられる。例えばヤクの成畜は、口と鼻を紐で縛って窒息死させられる。また、マリオン・H・ダンカン(私信)によると、チベット東部カムのチベット人は、革袋をヤクの口元にぴったりとはめ込み、空気を遮断するのだという。
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1211
モンゴル族(土族)が使う毛皮の準備は家内工業である。羊とヤギの皮は洗って、脂肪を削り落とし、乾かす。そして、皮を塩、小麦粉、ワイン(お酒)の発酵に使う酵母を混ぜた土瓶の中に浸す。割合は、皮1枚あたり、塩1つかみ、小麦粉1ポンド、酵母1塊である。漬けるのは、夏は14日間、冬は21日間である。漬けるのが完了したら、皮は川で洗って日陰で乾燥し、使用できるようになる。その皮で作るコートはモンゴル族(土族)の客の家で職人が裁断して縫う。
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1212
女性が用いる弾み車は常に紡ぎ鉢とともに用いる。はずみ車はパン(pang)、鉢はパンキャ (pankya)という。鉢はいくつかの油脂作物の絞りかすで作る。その形は切頭円錐形、ぐるりには若干、装飾が施してある。鉢の真中には半球状の穴があり、そこに弾み車を立て、一方の手でそれを回し、もう一方の手で糸を引く。
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1213
睾丸('bras bu)を取らない(羊の)雄のことはトム(khrom)またはルクトゥク(lug thug)と言い、0-1歳のときに睾丸を取らずに成長してから去勢をしたものはアルメン(ar rmen)と呼ぶ。
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1214
xxxxx糸を巻いた弾み車をかなりたくさん春までストックしておき、春以降に、天井と壁に取り付けた糸掛け(barlen)を用いて糸に撚りをかける。その場合、女性は壁に固定した棒に差し込んだ横棒に等間隔に並んでいる4つの鉤に糸を通し、床に座って、弾み車から糸をはずしながら撚りをかけていく。この作業によって、糸は4分の1ほど短くなる。
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1215
牧畜地域では羊もヤクと同様に去勢をする(phya rgyag pa)。去勢をする(rna phab pa)季節は初夏または初秋である。その時期は虫の害にあいにくいからである。羊の去勢をする(phya rgyag pa)時期、0-1歳の仔羊のときに去勢する(phya gcod pa)必要があり、その手順はヤクの去勢のやり方と同じである。
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1216
罪の意識を最小化する最も一般的な方法は、ヤクを専門の精肉業者に屠殺させることだろう。そのような屠殺者は、当該行為において道徳的責任を他人から引き受け、その罪のために呪われていると見なされる。多くの肉屋は仏教社会で独特のカーストを形成している。ラサの肉屋のように、ラダックや甘粛出身のムスリムで、アヒンサー概念を遵守しないものもいる。 肉屋によるヤクの屠殺は、特に大きな集落では一年中行われているが、農民や牧民による屠殺は季節によって行われるものである。多くは晩秋から初冬にかけて、春と夏の放牧で肉付きがよくなったヤクを屠殺する。
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1217
この時期は、冬の気温が肉の保存と貯蔵に適している。屠殺のタイミングは、放牧の機会が限られている地域では、ヤク群のサイズを慎重に管理することによって過放牧とヤク群の損失を最小限に抑えようとする試みに反映されている。晩秋から初冬にかけて屠殺されるヤクの選別は、無作為に行われるわけではない。一頭一頭慎重に判断し、厳しい冬を乗り切ることができないと判断されたものから淘汰される。さらに、経済的な投資価値が低いと判断されたヤクも加えられる。そのようなヤクはたいてい雄牛であり、ヤクの雄牛は年を取りすぎていたり、病気であったり、牽引や負担をかけるには弱すぎたりすることが多い。雌のヤクは、乾乳しているか、繁殖可能な年齢を過ぎている場合に選ばれる。このように、選択的屠殺は、豊富な肉を提供するだけでなく、残ったヤクが冬の窮乏を乗り切る能力を高めることにもなる。さらに、放牧やその他の資源をより効率的に配分し、より功利的で経済的なヤク群にすることができる。
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1218
その重要な賓客を迎えて宴するときには、かならず犛牛を駆りたてて客にみずからこれを射させてのち、これを食料として贈る。
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1219
粛宗の〔至徳〕元年(七五六)建寅月(正月)甲辰に、吐蕃は使を遣わして来朝させ、和平を請うた。宰相の郭子儀・簘華・張遵慶らに勅を下して、中書省で宴を設け、光宅寺に行って三牲(牛・馬・羊)の血を歃って盟約をしようとした。しかし仏寺には行かずに、翌日鴻臚寺において血を歃り、蛮族の儀礼を行うことを請うたので、それに従った。
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1220
はじめ、中国は牛をもって、吐蕃は馬をもって〔盟することを〕約束していたが、鎰はこれと〔正式に〕盟約することを耻じ、その儀礼を簡略にしようとした。そこで〔かれは〕結賛に言った。 中国は牛がなければ耕作することができず、吐蕃は馬がなければ行動することができない。〔牛・馬ともに両国にとっては重要な存在であるから〕いま、羊・豚・犬の三種をもってこれに代えたいと思う。 結賛は承諾したが、塞外には豚がいないので、かれは羝羊(ていよう)を出すことを願い、鎰は大きな白羊を出した。そこで壇の北側でこれを刑し、血を二つの器に雑ぜて歃り〔盟約をした〕。
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