「チベット高原万華鏡テキストDB」では、フィールド調査の記録や文献資料に記録された牧畜や農耕といった生業にかかわるテキストを引用し、日本語以外の場合は翻訳も添え、「搾乳と乳加工」「糞」「食文化」「服飾文化」などのカテゴリータグをつけて集積しています。地図上にはプロットできない情報を含め、民族誌や旅行記、史資料の中にバラバラに存在していた生業にかかわる情報を検索可能な形で統合して見える形にすることで、新たな研究を生みだすことを目指しています。
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ヨーグルトはチベット語で「ショ」と呼ばれる。新鮮な牛乳を鍋に入れて煮沸し、木製の樽、アルミ鍋、陶器に注ぐ。約30℃に冷めたら、スターターのヨーグルトを加えてよくかき混ぜ、毛布や衣服で包む。10℃〜20℃の部屋に3〜4時間置いておき、固まって柔らかい豆腐状になったら、すぐに食べられる。ヨーグルトはやや酸味があるが、砂糖や黒糖を加えると甘酸っぱくて美味しくなる。五臓に潤いを与え、夏の飲み物として最適。特に寝る前にヨーグルトを一杯飲むと、神経が落ち着き、眠り易くなる。
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旧社会の馬氏族の軍閥政権時代には、村人が毎年人頭税や、更にロープの税など種々雑多な税を払わなければならなかった。当時、農牧民は馬政権以外に部族の首領にもバター、裸麦などの税を払う義務があった。
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部族のホンポ(千戸)や万戸が馬政権の命令によって属する部落民から税を徴収したが、もし、税を滞納すれば、馬氏族の軍隊が村に入り込んで村人の家畜や財産を略奪することがよくあった。
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佐華:大きい羊の皮で縫って作った上着。一般的に豹皮で襟を作り、黒いコーデュロイの縁取り、ジャコウジカの皮の巻き?、プルまたはカワウソの皮の縁取りしたものもある。
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熱拉:布の生地で内側を作って縫い合わせた夏のガウン。
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托拉:毛織物または布の生地で表をつけて、絹まはた布の生地で裏地を縫い合わせた羽織り。
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抽拉:プル(毛織物)で縫い合わせた夏のゆったりとした上着。雨や風を防ぐことができる。
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察日:仔羊の皮を縫い合わせた上着(冬春の服装)。多くは錦織または高級毛織物で表をつけて、花模様のプルまたはカワウソの皮で縁取り、狐皮・豹皮で襟を作る。
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腸詰め(ソーセージ):チベット族の羊の屠畜方法は独特で、まず縄で羊の鼻と口を縛って窒息死させ、胸の下を開いて血管を断ち切って血を胸腔の中に流し入れる。さらに、皮をはいで腹を開き、血液を取り出し、血に塩を加えてよくまぜて適当に調味料を入れ、洗った羊の腸の中に注ぎ込む。これを「血腸」という。
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牛・羊のヒレ肉・クビ肉と肝を刻んで調味料を入れて腸詰に入れる。これは肉腸である。溶いた小麦粉と脂肪分をまぜて腸詰にする。これが面腸である。
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食事はツァンバ(炒麦)だった。これは大麦を炒って粉にして、ツウラという脱脂乳にモォル(ヤクのバター)を少量まで、それにお茶および砂糖をいれてこねたものである。――砂糖は四川省からヤクの隊商によって輸入される褐色の結晶糖である。
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この土地では、三つのおもな(距離の)測り方をしている。コサツァは声のとどく距離、ツァポは半日行程、シァサは一日行程の距離である。
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間もなく車は、峡谷から出て不毛の岩の多い日月山脈越えにつづいている峠(ニハ)の登りになると、馬大佐が教えてくれた。西蔵語では――断然間違いのないところだが――ニハが峠、ラが峠への登り道、トェルが峠を越えて下る道を意味している。
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それは、粘土をうちかためてつくった、高くて厚い壁に囲まれた、弾丸のあとのある煉瓦塀の平べったい住家であった。わたしたちは中にはいり、炕の上に休憩した。炕は木と泥のしっくいでできた棚であって、下からヤクの糞をいぶし燃やして暖をとり、フェルトや熊の皮やシュウデンと呼ぶ敷ぶとんでさめないように絶縁されている。
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丸いパン種を入れてないパンに、山羊の脂(バオ・ツエ)と砂糖をつめたトン・ロと呼ばれる盛合せ料理を食べた。それはおいしいもので、血を暖め精をつけるという。
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砦の北側には、ロン族(パ)と呼ばれる定住西蔵族がいたが、かれらは、内側に毛皮のついた羊皮の上衣をあたたかく着込み、黒い皮長靴をはいていた。
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小さなロン(谷)の休耕畠を耕しているのが時々見受けられた。それはたぶん、日中は地面が雪解けするからであろう。冬が過ぎ去るにはまだ早かったが……かれらの中には、犂を使用しているものがいたが、ヤクと駱駝を二頭立についないで引張らせているのが多かった。
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わたしたちがお寺を出発するとき、喇嘛僧たちは静かに歌いながらやさしくおじぎをして、祝福をうけた香りのよい脂肉のソーセージ、草、粉などを、わたしたちの鞍嚢につめ込んでくれた。この草はココまたはシャンドと呼ばれて、むらさきうまごやしの一種で、いくらかカレーの味がした。羊の肋肉がいちばん上につめられたが、この肉は手抓羊肉といわれ、それは字義通りには「手むしり羊肉」の意味である。
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(部落首長(ズオンポン)の家で)羊肉の料理を中心としたご馳走を陽気に食べた。馬乳を発酵させたクミスの凝(こご)らしたものに黒砂糖をふりかけたものも出された。
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その中の一軒で、わたしははじめてチャンという苦味のない大麦の発酵飲料を味わい、モモという脂の多い羊肉をつめた小麦粉のだんごを半熟にふっくらとふくらましたものを食べた。